私のアレはどこへ消えた?

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    プロローグ ~彼女の談話~

    確か私が25歳の頃の出来事でした。

    あの日、私は電車でiPhoneをなくしたんです。

    正確には、置き忘れた。と言うべきでしょうか。

    非常にお恥ずかしい話なので、こうしてあなたにお話するのも躊躇(ためら)ってしまうんですが。

    私、酔っ払ってたんです。

    お酒飲んだら、大体は記憶とともに何かを失いませんか?

    …え、そんなことないですか?

    私、マイノリティなんですかね。

    元々物をなくしやすくて、おっちょこちょいというかドジというか。

    スマホをはじめ、身の回り品をなくすことなんて、しょっちゅうで。

    え、たとえばどんなものか…ですか?

    財布は何度か。あと…定期券と、カバンとか、帽子とか…。

    元々抜けてるのに、私、お酒飲むと楽しくなっちゃうんです。

    それで、飲みすぎちゃって十中八九、記憶を飛ばしちゃうんえす。

    あ、今「じゃぁ飲むのやめなよ」って思いました?

    顔に出てましたよ、ふふふ。

    普通はそう思いますよね。

    自分でも思います。

    でも、中には理解してくれる同類の子たちもいるんですよ。

    お酒自体も好きだけど、喋って楽しく飲むのが好きなの。

    会話を楽しみたいから飲むの。

    で、呑みだしたら呑まれたいの。どんどん。

    いやぁ、今はもうめったにないですよ。

    大人だし、親だし。飲む機会ないし。

    え?家でも飲んで記憶なくすかって?

    それがなかなかできないんですよ。

    ひとりじゃそこまで飲めませんから。

    のどを潤すために毎晩家でスプリッツァーをグラス3,4杯飲む程度です。

    あ、スプリッツァーって知ってます?

    オシャレな名前ですよね。

    白いワインをソーダで割ったカクテルのことなんですけどね。

    私、今まで「ワインの炭酸割り」って呼んでて。

    最近、スプリッツァーって言う呼び名があること知ったんで、そっち使うようにしてるんです。

    なんか一気にオシャレなカクテル飲んでる気分になりますよね。

    沖縄の居酒屋に行ったことあります?

    各テーブルに蛇口が付いてて、ひねったら泡盛が出てくるんですよね。

    飲み放題。

    あ、分かりますか?

    そうそう、びっくりしますよね。

    あんな感じの蛇口が付いた、箱型ワインがコストコやAmazonに安く売ってるんです。

    それをうちではキッチンに置いてて、ひねったらいつでもワインが飲めるようにしてるんです。

    ウィルキンソンの炭酸水で割ったら簡単スプリッツァーのできあがり。

    自分で濃さ調節できるし、飲みやすくてリーズナブルでとっても気に入ってます。

    何の話でしたっけ。

    あぁ、私が25歳の時に電車でiPhoneなくした話でしたね。


    その日のこと

    その日、私はいつものように、新横浜で飲んでいた。

    職場から徒歩5分ほどの居酒屋。

    メンバーはたぶん同僚数名とだと思うけど、覚えてない。

    2軒ハシゴして、終電の時間だから解散。

    そして、ひとりで地下鉄ブルーラインの終電に乗った瞬間。

    ブラックアウト

    シュート合宿の桜木花道よろしく、泥のように眠った。

    と思う。

    当時私は田園都市線沿いに住んでたから、

    終点のあざみ野という駅で乗り換えなければいけなかった。

    でも、夢すら見ないくらいに深い眠りの中にいる私は、そんなこと知らない。

    時には永遠に眠り続けて、

    折り返して反対側の終点の湘南台まで行ってしまうこともあった。

    中でも、終電で折返してしまうのは、電車で戻れないから最悪なケース。

    かと思いきや、終電折返しは新羽止まりだからタクシーで帰れる距離でセーフ。(アウトだけど)

    横浜市営地下鉄ブルーライン路線図。気が遠くなる湘南台の遠さ

    兎にも角にも、折り返しちゃうと面倒くさいことになるんだけど、

    その日は、運良くちゃんとあざみ野駅で飛び起きた。

    で、動物の習性でちゃんと田園都市線に乗り換えもして、どうにか家まで帰れたらしい。

    と、ここまでは良かったんだけど。

    翌朝

    翌朝起きると、壮絶な二日酔い。

    この日ばかりは、もう酒なんて二度と飲むかと思う。

    そして気付く。

    iPhone4が無い。

    あー、またやっちまった。

    他の持ち物も確認してみる。

    最悪だ。

    カバンに入れてたはずの読みかけの本が無い。

     

    司馬遼太郎の『酔って候』

    事の顛末

    iPhone4と『酔って候』が、無い。

    考えられる可能性は、ひとつ。

    終電の中、朦朧とした意識の中で私は『酔って候』を読もうとして、残ったわずかな気力を振り絞って文庫本を取り出したに違いない。

    そして、もちろん読むことはできず、ブラックアウト。

    乗り換えのあざみ野駅で奇跡的に目を覚まし、

    瞬時に状況把握能力を発動し、慌ててドアから駆け下りた。

    取り出した本は、座席に残されたまま。

    そして、iPhone4も。


    二日酔いのズキズキ痛む頭を抑えながら、私は考えることをやめた。

     

    とりあえず出勤しよう。

     

    恐ろしいことに、まだ平日なのだ。

    重い体を引きずりながら、私は支度を始めた。

    あぁ無情

    出勤する途中で、地下鉄あざみ野駅の改札窓口に立ち寄った。

    決して駅員さんに二日酔いだと悟られないように、

    健康的な微笑を顔に貼り付けて、ハツラツとした明朗な声で尋ねた。

    「すみません。昨日の終電で、スマホと本の忘れ物がありませんでしたか?」

    私ほどになると、窓口で忘れ物の問合せをするのは、もう慣れたものだ。

    (大人になった今思うと、駅員さんに余計な仕事を増やして申し訳なかったなと反省している)

    駅員さんは1分ほどガサゴソ確認作業をした後に、耳を疑う一言を口にした。

    「こちらではお預かりしていませんね」

    そんな馬鹿な。

    そんなはずがない。

    ブルーラインじゃなければ、私のiPhoneと本はどこに行ったというのか。

    あ、田園都市線の方か?

    昨晩の私は、酩酊しながらも乗り換えの時にちゃんとスマホと本を持ち運んでいたのか?

    急いで田園都市線あざみ野駅にエスカレーターで駆け戻る。

    朝の忙しい時間なのにクソッ!


    「こちらではお預かりしていないようです」

    こんなことがあっていいのだろうか。

    田園都市線のあざみ野駅にも、無情にも無いと告げられた。

    どういうことだ。

    私のiPhoneと『酔って候』は一体どこへ消えたというのだ。

    もう時間が無い

    あざみ野駅で腕時計を見る。

    長い針が4の数字を指している。

    やばい、さすがにもう会社に行かなければ。

    あさみ野駅から新横浜駅へは地下鉄で20分ほどかかる。

    新横浜駅から、職場のビルまで早歩きで8分。

    こんなところで油を売っている暇は、ない。

    会社の始業時間は9時だ。

    私の隣の席には再雇用の爺さんがいる。

    彼は毎朝7時半には出勤して朝刊を読んでいる。

    しかも新幹線通勤だ。

    一体何時に家を出ているというのだ。

    私はその彼とペアで仕事をやっている。

    彼は、始業前にも後にも仕事らしい仕事は特にせず、時折りYahooニュースを眺めては大きな独り言で感想を言う。

    「こりゃ大変だなぁ!」

    近くの席の誰も助け舟を出してくれない時は、私が仕事をペースダウンして反応するしかない。

    「…何が大変なんですか?」

    すると、彼は嬉しそうに、今日のトップニュースについて語りだす。

    私は彼の顔と自分のモニターに絶妙なバランスで交互に視線をやり、「へぇ~」と相づちを打ちながら、手はタイピングをしている。

    いわゆる、ブラインドタッチというやつだ。

    中学生の頃、インターネット黎明期に毎日タイピングゲームとアングラなチャットやBBSにカキコミをして身につけた技だ。

    爺さんは、とにかく喋りたいのだ。誰かに話を聞いてほしいのだ。

    たとえ私がタイピングしながら話半分で聞いていようが、適度に顔見て相づちを打っていれば問題は無かった。

    ちなみに、爺さんは定年前は部長まで勤め上げて、鬼の○○さんとまで呼ばれたそこそこ怖い人物だったらしい。

    その元部長の爺さんが早朝出勤してくるせいで、入社3年目くらいのペーペーの私が始業ギリギリで出勤するのは、さすがに肩身が狭い。

    あざみ野駅で、私はため息まじりでつぶやいた。

    「もうタイムリミットだ」

    一旦スマホは諦め、小さく舌打ちをして地下鉄へと走った。


    職場のビルの1階で社員IDカードを通す。

    機械に時間が表示される。

    8時55分

    出退勤は、このIDカードを通した時刻で管理されている。

    よし、間に合った。滑り込みセーフだ。

    エレベーターを待つ列の最後尾に並んで、一息つきながら周りを見渡す。

    正社員、派遣社員、パート。

    色んな働き方と、それぞれの人生がある。

    9時直前にエレベーターを待つ大行列に並ぶ顔ぶれは、だいたい9時半出勤の派遣さんやパートさんだ。

    思わぬ展開

    夕方。

    二日酔いの激しい胃もたれを何とかこらえて、この日の仕事をやりきった。

    具合が悪いからと上司に告げ、元部長の爺さんと一緒に定時ダッシュする。

    爺さんは毎日10階のオフィスまで階段で往復している。見上げたものだ。

    私は階段前で彼に別れを告げ、エレベーターの下ボタンを押した。


    帰り道の地下鉄。新横浜駅の改札前でふと立ち止まり、窓口に立ち寄った。

    昨晩、私は新横浜駅から終電に乗ったのだから、車内に置き忘れたiPhoneが新横浜駅に届いてるわけがない。

    しかし、私は藁にもすがる思いで、駅員さんに尋ねた。

    「すみません。iPhoneの落とし物ありませんでしたか?」

    すると平泉成に似た駅員さんはこう答えた。

    「何か特徴はありますか?」

    …!?

    ということは、何某かのiPhoneが届けられているのか!?

    平泉成め!じらしやがる!

    私はすぐさま答えた。

    「紫のケースに入っています!!!」

    「あ~じゃぁ違いますね。ひとつ届いていますが、ケースには入っていないので」

     

    あ~~~~~・・・・・

    持ち上げて落とされるパターンか・・・・・

     

    そう思いながら、平泉成の手元に目をやると、

     

    そこには見覚えのあるiPhone4が!!!!!

     

    確かに、なぜかケースに入っていない裸の姿だが、

    しかし、それは紛れもない、私のiPhoneだった。

    ケースはどこへ消えた?と脳裏に浮かんだが、今はそんなことは重要ではない。

    細かいことは一旦思考から排除して、とにかくこのiPhoneを取り戻すことに集中しよう。

    平泉成がホームボタンを押したのだろう。

    画面が点いて、ロック画面の写真がチラッと見えて、私は確信した。

    「すみません、それです。それ私のスマホです!」

    「あ~そうなの?
    でもロックがかかってて中身見れないから本人か確認しようがないなぁ。よし、じゃぁこうしよう。
    待ち受け画面が何の写真か教えてもらえる?

    もうひとり、別の駅員さんもやってきた。

    柄本明によく似た、穏やかな顔をしている。

    平泉成と柄本明が並んで私のスマホを眺めている。

    心無しか、ふたりともニコニコしているようだ。

    私は自信を持って伝えた。

     

    「銅像です!」

     

    すると柄本明が目を細めて尋ねてくる。

    「誰の銅像?」

     

    私は今、試されている…!

     

    「中岡慎太郎です!!」

     

    ふたりはキョトンとして、成がこう発した。

    「え?坂本龍馬でしょ?」

     

    「違います。私の待ち受け画面は、龍馬の友達の、中岡慎太郎です」

     

    私がそう端的に説明すると、平泉成と柄本明は一瞬顔を見合わせて笑顔になった。

    そして、

    「あ~そうなの~?龍馬かと思ったよ。いい趣味してるね~!」

    とすぐにiPhoneを返してくれた。

    ふたりで、私のロック画面を見ながら龍馬談義でもしたのだろうか。

    Googleフォトに残っていた中岡慎太郎像(2012年5月さっぴー撮影)

    中岡慎太郎像は、高知県の室戸岬で見ることができます。

    おかえり、私のiPhoneちゃん。

    しかし、大事なことを忘れてはいけない。

    消えたものは3つ

    まだ事件は、終わっていない。

    「紫のケースはありませんでしたか?」

    と私は尋ねた。

    成は答えた。

    「え~見つけた時にはこの状態だったよ」

    ケースはどこへ消えた?

     

    「じゃぁ本はありませんでしたか?」

    「ないですねぇ~」

    そうか。

    司馬遼太郎の『酔って候』はどこへ消えた?

     

     

    そして、実はもうひとつ、ひっそりと消えたものがある。

    ここからの説明を分かりやすくするために、まずはこの事件前に撮影された、私のiPhoneの実際の写真をご覧頂こう

    Googleフォトで「スマホ」と検索したら私の昔のスマホの写真が瞬時に出てきた。

    便利な時代だ。

    当時実際に私が使っていたiPhoneの写真が、

    これだ。

    1,2,3~♪👉

     

     

     

     

    画面が盛大に割れているのはここでは関係無いのでスルーしよう。

    このグニュッとした紫のシリコンケースが、今回何者かによって外されて、持ち去られてしまった。

    そして、iPhone本体とこのケースの隙間に、

    私は何を思ったのか、自分の証明写真を1枚挟んでいた。

    スマホと一緒に証明写真を1枚、肌身離さず持ち歩いていたのだ。

    証明写真のイラスト(女性)

    この行為に、特に意味はない。

    友人や彼氏(今の夫)と飲んでいる時に「ほら、ここに証明写真入れてるんだよ」と見せると、ほとんどの相手が「何でそんなとこに入れてんの?」と聞いてくる。それがちょっと面白いな~と思っていた。ただそれだけの理由だ。

    その証明写真も、消えた。

    平泉成と柄本明に「証明写真は落ちていませんでしたか?」と聞く気力は、その時の私にはもう残っていなかった。

    二日酔いで胃が悲鳴をあげていて、銅像当てゲームが終わったところで、私は今すぐに帰って横になりたかった。

    スマホケースも本も無いなら、もう証明写真も無いのだろう。

    もう諦めるしかない。

    そう自分に言い聞かせ、平泉成と柄本明に礼を言うと、私は家路を急いだ。


    残された謎

    それにしても、考えれば考えるほど不可解な事件だ。

    スマホケースを外して証明写真とともに持ち去った人物は、一体何が目的だったのか?

    なぜiPhone本体は残して行ったのだろうか?

    ほんのイタズラ心で、ケースも写真もすぐに捨てただろうか?

    iPhone本体まで手を出すのは、良心の呵責に苛まれて踏みとどまったのか?

    それとも、証明写真の存在を密かに知っていた誰かが、それを狙って持ち去り、歳月が流れた今も何かに活用しているのか…

    可能性は否定できない。


    証明写真の中の私がこちらを見つめている。

    あの真剣な眼差しには、誰かの持ち去りを食い止めるまでの力は無かったということだ。

     

    ひらひらと地面に舞い落ちた私は、世間という名の雑踏に踏み潰されたのかもしれない。

     

    本屋でそんなことを思いながら、

    私は2冊目となる『酔って候』を手に取った。

     

     

     

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